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フィリピン南部ミンダナオ島ダバオ地方 (Davao Region, Region XII) のダバオ・デル・スル州にある都市であるダバオを紹介。ダバオの歴史、産業、交通機関、文化、教育期間などを説明しています。
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スペイン人は16世紀にセブやマニラなどフィリピンの大部分を征服したが、その影響がミンダナオ島の南側やダバオに及んだのは非常に遅く、19世紀になってからである。1847年、ドン・ホセ・ウヤングレン (Don Jose Uyanguren) に率いられた探検隊が、現在のボルトン川沿いにあったマングローブの沼地にキリスト教徒の入植地を設立した。その頃ダバオ周辺はモロ人(ムスリムであるマレー系人)の首長(ダトゥ)、ダトゥ・バゴ (Datu Bago) が支配しており、彼の町はダバオ川の川岸にあった(当時は、バゴボ人はダバオ川をタグロック川 Tagloc River とも呼んでいた)。両者は戦闘になったが、ウヤングレンがダトゥ・バゴを破った。彼はスペインの故郷を記念して、この地域をヌエヴァ・ギポスコア (Nueva Guipozcoa) と改称し、最初の統治者になったが、この地の開発にかけた彼の努力は実を結ばず、密林は豊かな農地にはならなかった。 1900年、フィリピンを事実上支配下に置いたアメリカ軍がこの地に上陸して統治を開始すると、個人農園の開拓が進み輸送・通信手段が改善され、この地方の経済的発展の端緒が開かれた。

参照元:Wikipedia「ダバオ
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地方史家によれば、「ダバオ」の語源は、ミンダナオ南部周辺に住む先住民バゴボ人の3つの支族が、ダバオ湾に注ぐダバオ川を指すのに使った言葉が混ざり合ったものという。市の後背地の丘陵地帯に住む先住民オボ族(ウボ族)は、この川をダヴォー (Davoh) と呼んだ。ダヴォーとは「高い丘の向こう」を指し、ダバオ川河口の高いうねった丘に囲まれている町をそう呼んでいた。丘の海の中間に住むクラタ族(ギアンガ族)はこの川をドゥフォウ (Duhwow) またはダヴァウ (Davau) と呼んでいたが、森から採れる物を塩や日用品と物々交換する川沿いの交易の町のことも指していた。最も低地に住むタガバワ族はこの川をダブ (Dabu) と呼んだ。

参照元:Wikipedia「ダバオ
ダバオ市はミンダナオ島に南から切れ込んだダバオ湾に面した港湾都市である。街の東にある海岸の対岸には、サマール島(フィリピン中部ビサヤ諸島のサマール島との区別のため、アイランド・ガーデン・シティ・オブ・サマールという正式名称がある)が浮かび、街の西には雄大な火山アポ山がそびえている。 ダバオ市の行政面積は2,443.61km2もあり、都市としては世界最大級の広さである。市域は3区に分かれ、バランガイ(集落)は184を数える。市域の面積の50%は植林地や熱帯雨林である。農業用地は43%で、ダバオの基幹産業が今でも農業だということを示している。国内外に販売するバナナ、パイナップル、コーヒー、ココナツを栽培する巨大プランテーションが農地のほとんどを占めている。 現況では、住居・施設・商業・工業用地としての部分は市の10%である。土地利用計画では、開発可能な区域を市域の15%、農業用地を最大67.19%とし、残る17.68%を森林保存のために残しておくことになっている。

◯気候
ダバオ市は太平洋から山脈で守られており、台風が発生する海域より南側に位置するため台風被害が少ない。天候は特に雨季や乾季がなく、降雨量、気温、湿度、気圧なども一年を通し変化が少ない。こうした天気の予測のしやすさは、農業生産にとって大きな利点になっている。気温は20度から32度の間で、年平均降水量は2,000 mmである。

参照元:Wikipedia「ダバオ
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